ここではkinpicaの想いを綴ってみたいと思っています。

◎2008年12月21日
 
会社で仕事をして、給料をもらい、ボーナスも貰い生活をできる環境になった。
 これは、kinpica一人でできたことではない。支えてくれた家族、そして会社の仲間が支えてくれたからである。
 感謝、感謝
 
 日々、薬を飲み、生きている。
 飲んでいる薬はステロイド 11ミリ、免疫抑制剤100ミリを飲んで、副作用を抑えるための薬を大量に飲んでいる
 毎日、心の中でくそーーーーと叫び
 生かされていることに感謝もしている
 
 妻の顔をみる
 娘の顔をみる
 感謝です。
 
 体調がふにゃふにゃしている時、気分が沈む
 どこか壊れているのか、
 しびれが強い時、
 不安で頭がおかしくなりそうです。

 
そんなとき、
 永峰さんを思い出す
 横浜で同室だった43歳の方です。筋ジストロフィーで大学生の時から病と闘っていた。
 自分で寝返りもうてず、一日テレビを見ていた
 「内心、この人は何で生きているのかなぁ」思ったりした
 
 そのころは、kinpicaは入院して不安でカーテンを閉めては
 悔しいと泣いていた
 毎日、明日はよくなると思い、ノートにがんばれと綴った日々
 
 永峰さんのお母さんはkinpicaがんばれ
 治るからねと励ましてくれた

 その永峰さんは天国に召された(07年10月)

 いま、永峰さんを思う
 希望を捨てず、自分の病を受け入れ、誰にも好かれた人である
 どんなに悔しかったかと思うがそんなことを見せずに・・・・・・・

 それに比べ、kinpicaは会社で働き、家族と生きる
 家族と喧嘩かもする
 なんて不幸なんじゃと思う
 どこか壊れて、 病院に入院かとも思う
 今を失いたくないと思う
 生きている幸せを忘れている
 今を生きることを楽しんでいこう
 感謝忘れず

◎2009年1月24日
努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る By井上靖、By明穂@KIDOさん(マイミクさん)より

毎日、後悔しないようにしよう。自分の不満やイライラをぶつけないように
どうせ一度の人生だから楽しまなきゃ(笑) 

嘆くな(笑)笑い飛ばせ(笑)

◎2009年2月1日

日立7000億の赤字決算
なんともやりきれない
仲間がいなくなっていく
がんばらなきゃ 
俺達がやらなきゃ
和 誠 開拓者精神
なげいいても何も変わらない
自分の足元を見つめて頑張れkinpica

◎2009年2月15日読売新聞

 すきになるということは こころをちぎってあげるのか、だからこんなに痛いのか

 痛い  工藤直子 詩

◎2009年2月28日 紀香魂』(藤原紀香)より、抜粋

インドで、ある一人のお坊様との出会いがあった。
 
 中村行明さんという、お坊様たちからも尊敬されている32年間インドに住んでいるお方。

 彼は、スマトラ沖の地震の時もすぐに現地に飛んで、お経を読んだり、困っている人に施しをしたり、
世界中を飛び回っているような人。故マザー・テレサさんとも交流があった。
 
 偉い方なのに、腰が低くて、いつもニコニコ笑顔で、それでいて、言うことに説得力がある。

 すごく勉強になったのは、魂のことやスピリチュアルなことだ。彼にとっては普通のことなのだろうけど、
私は興味津津でいろいろと質問を浴びせかけてしまった。


「天国、あ、仏教でいえば極楽浄土って本当にあるんでしょうか?」
「ありますよ。でも、ほとんどの人が行くことができません。本当にこの世で大変な修行をしたり、
人のために、いろんなことをしないと極楽浄土には行けません。」
「え?でも中村さんみたいにすごい修行をされて、世界のためにいろんなことをしてる人だったら行けるのでしょう?」
「僕でも行けません」
「中村さんで行けないのだったら、ほとんどの人は行けないですね」

 彼は笑って「はい」と答え、「じゃあ行けない人たちはどうなるの?」と聞くと、

「次のお腹を探すんですよ」

 人は、生き返るために死んでから49日以内に次のお腹を探す。天国ではなくて、
また次の肉体を探して世の中のために生きていくというのだ。まさに目からウロコだった。


 今、出会っている人たちは来世でも会うものだもおっしゃった。会わない人とは一生会わない。
それが人のご縁というものだそうだ。もちろん関係性は今とは違うらしい。友人、両親、恋人
、兄弟、師弟、自分を成長させるためのいいライバルなど。

 また、「人に何かをしてあげたことは必ず返ってくる」とよく言うけれど、
その関係性はプラスマイナスになっているのだという。

 例えば、ものすごく今世であなたのことを好きだと言ってくれてる人がいて、
でもどうしてもその人の気持ちに応えられず「ごめんね」と何度も断っているとする。
するとそれは、前世であなたのことが好きでしょうがなかったのに何回も振られた人だと。その逆もある。

 前世は1回ではなく、何度もあり、肉体は滅びても魂だけはいろんな人生を生きているという。
でもどこかでプラスマイナスゼロになっていて、
もし前世で悪いことをしていたら、今世で自分もそういう目に遭うなど”因果応報”全部そんなふうになっているという。


 こんな話もあった。

「今この世に必要なのに、なんであの人こんなに早く死んじゃったの?っていう人がいますけど、どうしてなんでしょうか?」

 私はずっとそれが分からなかった。今、この世に必要な人なのに、「どうしてあの人が」とか「なんであんないい人が」とか「世界のためにこれから何かする人が」亡くなってしまうのだろうと。

 故ダイアナ妃もそうだ。私は彼女のことが大好きだったからニュースを聞いたとき、とても悲しかった。
彼女の笑顔を思い出して「神様って本当はいないのかな?なんで今、彼女が死んじゃうの?」と。

 すると彼の答えはこうだった。


「次の世界にすぐ必要だからですよ」


 世紀末があると言われていたり、ものすごい戦争が起こったり、未来に大変なことが
起こると言われている世の中だから、
その危機から人々を救うためや、そのときに人のために何かをするために。次の世界に、
働き盛りの2、30代に生まれるために、今”死ぬ”のだそうだ。
 

 すでに今の世界では他にそれをできる人がいるから、今死んで、すぐ次のお腹を探し当てて、
違う人物か何かになってどこかで生まれているのだいう。だから故ダイアナ妃ももうどこかで
生まれているかもしれない。肉体はまったく変わって記憶もなくなるけれど、
魂は一緒なんだそうだ。(ただし、自殺はいけないと。どんな理由であれ、授かった
命を自分で絶つと、一生魂はさまよい、生まれ変われないそうだ)。
 

 そして、私達がまだ天に召されないのは、この世に、他の誰でもない
自分がやらなければいけないことがあるからなのだ!それが使命だ。
世界にかかわる大きなことだけが使命ではない。隣にいる誰かを幸せにすることも使命なのだ。
 

「ああ、だから私達は生きてるんだ」

インドですばらしい出会いをした私。

インドに呼ばれた意味がわかった気がした。

この出会いに感謝である。

◎2009年3月17日 新聞発表 日立製作所社長交代と分社化
凄まじい組織変更が発表された、kinpicaは根っからのリーマンであり、
会社にずっぷりつかっている。自分はどこに根をはって
いるのか考える

会社に属さないときkinpicaは自分を家族を養うためになにをできるのか考える
そう、考えて、行動していかなければ
そしてこの100年に1回の危機に生きていることを楽しんでいけるようなゆとりが欲しい
kinpicaだけではないこの日本で生きている皆さんと一緒に考えていこう明日のために


◎2009年3月28日 mixi
「ウサギとカメのその後の話」 阿部千夏

僕はウサギの「ピーター」
僕の自慢は真っ赤なかわいい目と誰よりも遠くに飛べるジャンプ力さ!!
この辺りじゃ野山を走らせたら、僕に勝てるやつは
誰もいないんだ。

そんな僕の友達はカメの「ごん太」。
ごん太はいつも、とってもゆっくりゆっくり歩くんだ。
僕とは大違い。

そんな僕らは、今では大の仲良し。
今ではって?そう、昔はね、そうじゃなかったんだ。

いつものろのろ歩いているごん太と僕は、ある日、
山の頂上までどちらが先に行けるか競争する事になった。


僕は<のろま>が嫌い。
だからごん太の事をよく<のろま>ってからかってたんだ。

そしたらさ、「それなら競争しよう」って
ごん太が言ってきたんだよ。

そんなのやる前から僕が勝に決まっている。
よーいドン。
僕は風を切って走り出した。
もうすぐ頂上と言うところで、僕はちょっと昼寝をした。
どうせごん太は、まだまだ来やしないんだ。
どのくらいたっただろうか。

ふと目が覚め、上を見上げたら、そこにはVサインをした
ごん太が立っていた。

僕は家に帰り、悔しくて悔しくてママにこう言った。

『本当は僕が勝つはずだったんだ。
うっかり昼寝なんかしてしまったけど、ちゃんと走れば
僕の方が速いんだ。あんなのろまに負けるはずない。』

『そうね、ピーター。それで、あなたはどうしたいの。』
『明日もう一度、ごん太と勝負する』

僕はごん太ともう一度勝負した。今度はもちろん僕が勝った。
『どうだい。僕の速さが分かったかい。』
僕はそう言って、ごん太にむかってVサインをした。

ごん太はついたらきっと悔しがるに違いない。
そしたらどうだろう。
ごん太はにこっと笑って、同じように僕にVサインを返してきたんだ。
僕は悔しさと驚きで家に飛んで帰った。
僕はママにこの事を話した。

『ママ、僕、ごん太が許せない。あいつ、Vサインをするんだ。
 僕が勝ったのに・・・』

『そうね、ピーター。それで、あなたはどうしたいの。』

『明日、もう一度、ごん太と勝負する。それで、今日よりもっと速く走って、
 ごん太に僕の速さを見せつけてやるんだ』
次の日、もう一度勝負を挑んだ。
『やあ、ピーター君。えっ、また競争するの。うん、いいよ。でもさ、
 山でばかりじゃつまらないから、今度は海で競争しない。』
『えっ、海で。(海じゃ僕が完全に不利だなぁ)』

『大丈夫だよ。ピーター君は海が苦手でしょ。だからさ、
 僕の背中に乗ったらいいよ。』

『・・・・』

僕は驚いた。

そして、

『ごん太・・おまえさ、2回目に競争した時、負けたのにVサインしただろう。
 あれはどうしてなんだ。』
『ああ、あれね。1回目の時よりも速く走れたからさ。』

僕は家に帰った。ママはこう言った。
ゴン太くんは誰とも戦っていないよ。

 いつも自分のベストを目指しているだけじゃないかしら。
 私たちは1人ひとり、持っているものが違うの。

それを同じ舞台で同じように戦うのっておかしくない。
 今までは確かにそうだったかも知れないわ。でもね、
 これからは1人ひとりの力を発揮する場が違う事をお互いに思いやり、
 認め合い、評価し合い、助け合う。
 そんな世の中になるんじゃないかしらね。
 ごん太君はそれを分かっているから、自分の得意な海では苦手なあなたを

 背中に乗せるという、ゆとりの気持ちがあったのではないかしらね。』

 その日から、僕はごん太が大好きになった。
 そして、人と競争する事をやめたんだ。


◎2009年4月12日 miroku073さん

精一杯

頑張った

きっとあした

しあわせ

ひとつ

◎2009年5月8日

生きるという事は
重い荷物を背負って歩くようなもの・・・・・・・・・・

正直しんどいです。
kinpicaが横浜で意識混濁が1週間
その後5月に入院していることに気がついて
そこから戦いは始まったのですが・・・・・・・・・・・・・

意識混濁が1週間は文字どうりkinpicaには記憶はありません
家内はDrに覚悟をしておいてくださいと言われたそうです。

そのまま召されたかもしれません。
なんで生きているんだろうと思う事は良くありました。
睡眠薬を貯めて、どんだけ飲めば召されるんだろうとか
考えたり

体調は相変わらずです。
しんどいです(笑)
妻や娘の顔を見て
笑い、悲しみ、
生きているから、感じるんだと思いながら
kinpicaはなにを使命に生きているかなぁと
この頃想うのです

生きる、がむしゃらに生きる
ただそれだけ

◎2009年5月30日

自分が悪い時、八つ当たりしたとき
一呼吸おいて
素直に謝ろう

他人に厳しく、自分に甘い
そう言うものである

ただ、不快な事は宜しくない
時間が勿体ないではないか
楽しく生きること
これ大事

◎2009年9月8日

Mixiより抜粋させていただきました
京セラ会長・稲盛和夫、氏は得度(出家)してます。

『生き方−人間として一番大切なこと』(稲盛和夫)より

 一生懸命に働くこと、感謝の心を忘れないこと、善き思い、正しい行いに努めること、
素直な反省真でいつも自分を律すること、日々の暮らしの中で心を磨き、
人格を高めつづけること。すなわち、そのような当たり前のことを一生懸命行っていくことに、
まさに生きる意義があるし、それ以外に、人間としての「生き方」はないように思います。

 抜粋です

・ 幸福人生の方程式

 人生をよりよく生き、幸福という果実を得るには、どうすればよいか。そのことを私は一つの方程式で表現しています。

  人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力

 最初の「考え方」。三つの要素のなかではもっとも大事なもので、この考え方次第で
人生は決まってしまうといっても過言ではありません。この考え方が大事なのは、これにはマイナスポイントがあるからです。

・明るい未来の姿を描く

 私たちはいくつになっても夢を語り、明るい未来の姿を描ける人間でありたいものです。

 夢が大きければ大きいほど、その実現までの距離は遠いものになる。しかし、
それでもそれが成就したときの姿や、そこへ至るプロセスを幾度もシミュレーションし、
眼前に「見える」までに濃密にイメージしていると、実現への道筋がしだいに明らかに見えてくるとともに、
そこへ一歩でも近づくためのさまざまなヒントが、何げない日常生活からも得られるようになっていくものです。

・わずかでも前進する

 昨日の努力に少しの工夫と改良を上乗せして、今日は昨日よりもわずかながらでも前進する。

 その、よりよくしようという姿勢を怠らないことが、のちに大きな差となって表れてくる。

 けっして通い慣れた同じ道は通らないということが、成功に近づく秘訣なのです。

・ 今日一日を充実させる

 いたずらに明日を煩ったり、将来の見通しを立てることに汲々とするよりも、
まずは今日一日を充実させることに力を注いだほうがいい。それが結局、夢を現実のものとする最善の道なのです。

 因果が応報するには時間がかかる。このことを心して、結果をあせらず、日ごろから倦まず弛まず、
地道に善行を積み重ねるよう努力することが大切なのです。

・「好き」と「打ち込む」の好循環

 「好き」と「打ち込む」はコインの表と裏のようなもので、その因果関係は循環しています。
好きだから仕事に打ち込めるし、打ち込むうちに好きになってくるものです。

 どんな仕事であっても、それに全力で打ち込んでやり遂げれば、
大きな達成感と自信が生まれ、また次の目標へ挑戦する意欲が生まれてきます。
そのくり返しの中で、さらに仕事が好きになります。そうなれば、どんな努力も苦にならなくなり、
すばらしい成果を上げることができるのです。

 つまり、「好き」こそが最大のモチベーションであり、意欲も努力も、
ひいては成功への道筋も、みんな「好き」であることがその母体になるということです。

・ 生きる意味は魂を磨いていくこと

 この世のことはこの世限りでいったん清算しなくてはならない。
 そのなかでたった一つ滅びないものがあるとすれば、それは、「魂」というものではないでしょうか。
死を迎えるときには、現世でつくり上げた地位も名誉も財産もすべて脱ぎ捨て、
魂だけ携えて新しい旅立ちをしなくてはならないのです。

 ですから、「この世へ何しにきたのか」と問われたら、私は迷いもてらいもなく、
生まれたときより少しでもましな人間になる、すなわちわずかなりとも美しく崇高な魂をもって死んでいくためだと答えます。

・何があっても感謝

 必要なのは「何があっても感謝の念をもつ」のだと理性にインプットしてしまうことです。
 困難があれば、成長させてくれる機会を与えてくれてありがとうと感謝し、幸運に恵まれたなら、
なおさらありがたい、もったいないと感謝する。
 感謝の心をもてれば、その人は満足感を味わうことができるのです。

・素直な心は進歩の親

 感謝の心が幸福の呼び水なら、素直な心は進歩の親であるかもしれません。
 素直な心とは、自らの至らなさを認め、そこから惜しまず努力する謙虚な姿勢のことです。
人の意見をよくきく大きな耳、自分自身を見つめる真摯な目。それらを身のうちに備えて絶えず働かせることになのです。
 素直といえば、日々の反省も心を磨くために忘れてはならない実践であり、素直な心の所産なのでしょう。

・理性のワンクッション

 私たちは日々さまざまな事柄について判断を迫られています。そんなとき瞬間的に判断を下したことは、
おおむね本能から(つまり欲望から)出てきた答えです。

 「その思いには、おのれの欲が働いていないか、私心が混じっていないか」と自問することが大切なのです。
 そうやって結論を出す前に、「理性のワンクッション」を入れると、欲に基づいた判断ではなく、理性に基づく判断に近づくことができる。

・知足の心と利他の行い

 私は、これからの日本と日本人が生き方の根に据えるべき哲学をひと言でいうなら、
「足るを知る」ということであろうと思います。

 また、その知足の心がもたらす、感謝と謙虚さをベースにして、
他人を思いやる利他の行いであろうと思います。

  同じく、MIXIからの抜粋です。

ココロがネガティブな感情を感じたり、重い時、
その裏に隠された気持ちに気付いてあげると、
オセロを引っくり返すように、ココロが晴れる時があります。

たとえば、大切な人を失うと悲しいという感情がわきます。
でもそれは、それだけ大切で好きな人がいたという証拠です。

大切でなければ、悲しいなんて思いません。


悲しいと感じるのは、大好きだからです。

自分が感じた「好き」とか「大切」と言う感情に
もう一度スポットライトを当てて、自分は素晴らしいなぁと
つぶやいてみましょう。


イライラした時。それは意欲があるからです。

例えば、僕が渋滞にはまった時、とてもイライラしました。
なぜなら、どうしても行きたい場所があるからです。
どうしても行きたいと思わなければ、イライラしません。
イライラするのは意欲がある証拠です。

そこまで意欲がある自分は素晴らしいなぁとつぶやいてみます。


怒ったとき。それは何かを守りたいからです。

守りたいとも思わなければ、怒りもでてきません。

そこまでして守りたいものがある自分は素晴らしいと
つぶやいてみてください。

誰かと比べて落ち込んだとき、それは上を向いている証拠です。
上を目指そうとも思わなければ、比較することもないでしょう。

上を向いている自分を褒めて下さい。


嫉妬を感じたとき。それは、なりたい自分がいるからです。

”なりたい自分を先にやっている人”を見ると、つい嫉妬します。
なりたい自分がない人は、嫉妬すら感じないでしょう。

なりたい自分がいる、ステキな自分を素晴らしいと
つぶやいてみましょう。


人は何か変化して成長しようとする時、ネガティブな感情
と ポジティブな感情が訪れます。
ただ、面白いことに、ネガティブな感情とポジティブな感情を
同時に感じることはできません。

ネガティブな感情を感じたとき、

「そもそも自分はどうしたいんだろう?」

  優しくつぶやいてみましょう。


本来の自分の意欲に気が付いてあげましょう。

ちょっとでも、ココロが軽くなって、ちょっとでも変化を
感じたら、「おぉ、凄いぞ!」とつぶやいてみましょう。


・・・・・・・・・・・・・・・


2007年がいよいよもうすぐ始まりますね♪

つらいことや嫌なこともあったと思いますが、それはオセロみたいにひっくり返しちゃいましょう。
表裏一体のものなので。

人生は、「ハッピーオセロ」なんです。

黒がたくさんあっても、一つの白で、パタパタって全部白に変えることができます。

あなたにとって、2007年が、ステキな、明るい1年となりますように。  

2010年1月6日
白血球が増えちゃった

慢性骨髄性白血病(CML)+骨髄線維症(MF)闘病記+ホーランドロップ「大福」のおまけ
ちえさんのBlogより引用させていただきました

あなたがつまらないと思っている今日
それは、きのう亡くなった人が
どうしても生きたいと必死に願った今日です
今日は、そんな今日なのです

2010年4月20日 Mixi〜抜粋

緊張や不安から逃げようとすると、緊張や不安が追いかけてきます。
そう考えているのは、紛れもなく自分自身である、とはっきり認めることです。
自分から積極的に味わってみる。

この三行を忘れないように実践にして行きたいです
人生の学びは光と闇ですね 

2011年1月8 00:15
義理の祖父が永眠した。家内と付き合った頃から、孫の彼氏として可愛がっていただいた

最後の2年はプチボケで実家にいたが、2回の脳梗塞を起こし、2回目で帰らぬ人となった。
戦争を生き抜いた祖父はぼけても家族に優しい人だった。
最後は親族が集まり、病室で3回も呼吸、心臓がとなる中、必死で生きようとしていた
人は死ぬときにその人の生きざまが見えるのだろうか。
今だからこそ尊敬できる人だとつくづく思う
自分は最後まで、家族に優しくできるだろうか
自分を見つめる。


2011年1月31日から2月14日
勤続25年リフレッシュ休暇
よく頑張ったねkinpica

ここまで、やれた事に感謝してます
ここまでささえてくれた母、父、姉
そして妻、娘

ありがとう
これからも宜しくね

                          
2011年2月4日から2月8日

下関の実家に7年ぶちに帰った。ひさしぶりで何もかも懐かしかった
親父の墓まえりをして、年取ったお袋と過ごした。
なんとも親不孝なkinpicaである。
田舎に帰れた事に感謝。

親父は36歳で発病して54歳で亡くなった。
親父の分まで幸せにしなきゃいけんと思った。
長生きしなきゃ(笑)

2011年3月11日
東日本大震災 その時、会社にいた。揺れが上下左右とビルの12F
防災ヘルメットをかぶり、アトリウムへ避難

交通機関は麻痺して、一晩オフィスで過ごす。
今、生きている事に感謝。
亡くなられた方にお悔やみと被災地で避難されている方に、早く安らぐ時が来ますように

2011年6月11日
ボーナスが出た。有難いものです
この頃、家計が火の車で(笑)
子供が大きくなる
家庭が大きくなる
いろんな固定費が増える
ボーナスですべてを補てんしている。昔は、何に使うか頭はいっぱいだったが
いまは、ボーナスが無いとと思うとゾーーーっする。
人も家庭もシンプルが一番だなぁ。

2011年7月16日
今日、朝から、掃除して、午後は歩きに行きました
家でゆっくりするのは、良いのですが、そのうち寝てしまします
動かさないと、だらだらして何もしないで休みが過ぎてしまいます
楽しまなきゃね(笑)

2011年8月5日

朝、TVでは広島の原爆の日が映り、夏の甲子園が始まる
kinpicaは家でゆっくり過ごす
この頃。45歳という年を過ごしながら思う
もう少ししたら定年を迎える。そしてタンマリ残っている
家のローン
年金はどうなっているだろう。。。
日本はどうなっているだろう。。。
3.11の地震、多くの人が生きる意味や、人間の業の深さ、自然の
偉大さを感じたことであろう

そんな中kinpicaは毎日会社で仕事をして、うらやましいとか
妬みとか、そんなものの中で過ごす。すべて誰から押し付けられた
ものでもなく。すべてkinpicaの心の中、頭の中から湧きあがってくる
ものだ。
時間は短い。あっという間に年老いてしまう。
やれることを精一杯やろう。それだけ!!!

2012年1月3日〜6日

下関に帰省した、実質2日ではあったが母の顔を見て歳とったと、寒いアパートの部屋で一人で過ごす
母のことを思うとき、なんで俺は田舎を捨てたんだろうと悔やまれる。涙が止まらず、しょうがなかった
私が母にしたことは自分が子供にされても仕方ないことやもしれない
ただ、私が幸せになることで母を安心させなければと思った正月でした。

2012年2月25日
仕事嫌で続けられいと言いながら、会社をやめていく方がいる
明日も生きたいといいながら、明日は何とか良くなると思いながら過ごしている
私からすれば、何とも遣る瀬無いことです。人はいろんな価値を持って生きています
それを否定も肯定もしませんが、今まで頑張って来た方々にあの方はなんと
言って去っていくのだろうか?

2012年3月16日
挨拶もなしに、さよならメールを出して去っていきました。
忘備録として書いておきます
あまり期待せず、
モチベーションが無い人ならば、そのように構えれば
傷つくことはない

楽しく生きなきゃしょうがない。
ただ今回の事は忘れずに。
こんな奴もいるってことを忘れるな。

2012年5月6日

GW最終日です。明日から仕事です。
GWは義理叔父が4月27日に亡くなり、2日通夜、3日告別式でした
叔父はとても優しい方で、絵が趣味でした。
それほど歳ではなかったのですが癌にかかり
眠るようになくなったそうです。

昨年は祖父そして今度は叔父と不幸が重なりました
ただ、思うに人はいつ亡くなるかなんて誰にもわからない
だからこそ、一日一日を大切に生きることが大切なんです。
前を見て、笑って、焦らず腐らずまいりましょう。

2012年11月4日
今日はおおばぁばぁのお通夜です。
ここ2年は寝たっきりでした。
とても、きりっとした方で嫁にくださいといった時の目が
忘れられません
「幸せにしないと、殺すよ」という迫力がありました
おおばぁばぁ  お疲れ様でした

2012年12月30日

緊急外来を受診し、好酸球肺炎、肺肪出血の疑いで
入院した。再燃してしまった
年末、風邪を引いて咳をしていた。そこで、病院に行けば
何とかなったかもしれないが、いかなかった

結果、緊急外来で入院した約1ヶ月の治療となった
涙が止まらない。
くそっ

2013年3月3日

退院して、会社に行き始めた。家で過ごす休日、娘と会話しながら食事をする
幸せをかみしめる。自分で何ができるかわからないが、再燃しないように気を付けながら、
平々凡々を願う

2013年3月20日

昨夜寝るときに、仕事の事を考えていた。まったく、仕事をしたくない系列会社の
元部長がいて、どうやって、排除すればいいかを考えていた
パワーハラスメントをして、自分の仕事を守ることしか考えていない、人で
一緒に仕事をするのが嫌で仕方がない。

今朝起きて、ふと考えた。人生80年とすると会社生活は本当に短い。
こちらから積極的に排除しないでも、そのうちいなくなる
最初からいないものとして扱えばいいんだ。と
こんなことでストレスに思う自分はアサハカだな。
なんかい、入院しても懲りない奴とは俺のことだな

2013年5月9日

明日はボーナスだ。こうして働いて収入を得ることができることに感謝
である。一日を一生懸命いきようと思う

もっと人に良い人だと思われたい。
と思う

娘に健康で、楽しい学生生活を送ってほしいと思う
家族が幸せに暮らせるために俺は頑張らねば


2013年8月3日

もっと自分の事に自信を持たないとなぁとこの頃思う
歳もとってきた、誰にも負けたくはない
健康は自信があるが、いつ再発するかびくびくしている
だが、やっぱり、kinpicaだなと言わせたい
自信を持ち、人にやさしく頼られる人になりたい
いい年だからね

2013年9月11日

今日定期人事異動が発表された
後輩がマネージャーになっていた。
仕事も出来る優秀な人だ。
おめでとうと思う自分がいる一方

あぁ、、、、健康だったらな。もっと頑張れればなぁと
思う自分がいる。

女々しいけど、健康でない自分が悔しい。
涙がでるよ
笑え笑え、生きているだけでぼろもうけ

2013年9月29日

9月最終の週になった。
野球のペナントも終わり、景色は秋になってきた
会社生活はへいへいぼんぼんである

1年半の休業は私の会社生活をかえていった
いまだに悔やむ俺がいる
負けないと思う自分がいる
情けないがこれが現実ある。
悔しいが、俺は俺のできることを精一杯やる
くそったれが。
誰に言ってるんだ。(笑)

2014年1月2日〜6日
2年ぶりに下関帰った。寒い家に年とった母が住む
なんとも、寂しい思いをさせている
申し訳ない。母さん。ごめんなさい。

2014年3月9日

人間ドックで精密検査の指示があり
マリアンナで大腸検査をした。
ポリープが見つかり、消化器肝臓内科に診察することになった
なかなかうまくいかないが
まぁ、はやくとってもらいますか。
2014年3月24日

消化器肝臓内科の診察終わりました。早期大腸癌の疑いです。
一週間入院して、EMR(輪を掛けて取る)か、ESD(メスで剥ぐ)で治療します。
前者は1泊2日、後者は1週間。取って、生研して、癌だったら根の深さで、
転移の可能性が変わる、浅いと0.3%.次が3%.1ミリ手前(筋肉)で、10%?15%ですと( ̄Д ̄)ノ
内視鏡でポリープ取って、癌で、根が深い場合は、S結腸の削除だと。
笑えない診察でした。
が、私はついてますなぁ。
発見できて、とれますからね。
と、いうことで、4月最終の週の入院決定。
嗚呼、また、高額医療費だわ。ボーナスなくなるなぁ

2014年4月21日

大腸ポリープの手術をしました。結局、入院して、EMR(輪を掛けて取る)で取れましたが
傷口が大きく(4cmのポリープ)だったので2日の絶食、安静で6日間入院しました
まだ、2つありますが、それは次回です。

2015年1月2日〜5日
久しぶりに、下関に帰省した。
寒い市営住宅に住む母にやさしい言葉もかけずにテレビを見て
過ごす。なんで、母を置いてきたんだろうと後悔ばかりだ。

2015年2月14日
なかなか業績が厳しいらしく仲間が少なくなっていく。

なにもできない自分がちっぽけだ。
ただ頑張るしかない。笑え笑え


2015年2月22日
 我が家の家族 しゃちさん♂猫が終活をしている。
 悪性リンパ腫と診断されて、2週間くらいで、毎日朝夕薬(ステロイド)を飲み
 喘息ような呼吸は少なくなり安心していた。4日くらい前から飲み食いしなくなり
 娘のベッドの下に身を隠した。
 いつも、食事をしているとそばにいて食べ物をねだっていた
 しゃちさん。
 君のいない日々は寂しい。君はこの家に来て幸せだったかい。


 2016年2月15日
 
母が亡くなったと姉から電話が来た。残業を終えて、帰る途中に電話がなり、母が倒れて
 病院にいるとでんわが来た。母が佼成会に来ないからと姉に電話あり、お兄さんが母の家に
 行き、ドアを開けようとしても開かず、警察と一緒にチェーンを切り、家に入り、お風呂場の側で
 倒れている母を見つけ病院に運び、心停止状態の母の蘇生をしたとのこと、、、、、、

 80歳で亡くなるまで、下関で一人で生きてきた、子供を育て上げ、病気の父の看病をして
 見送った時は56歳、働くこともできず寂しく生きた

 僕は、転勤の命令を受け、遠く神奈川へ、母を残し。
 母の事を面倒もみないで、

 田舎に帰って母と過ごす選択は何回かあったのに自分のことしか考えなかった。
 もう、母と話すこともできない。

 ごめんね母さん。


2016年10月2日
 父と母が横浜の家にいる。天草の母の故郷へいつか父と母を散骨するまで
 この家で過ごしてもらうために。
 なんとも、帰る田舎をうしなった事、いまだに、実家の電話番号が消せない。
 寂しい。
 会社では、すさまじいリストラが進んでいる。自分は部下もいないはぐれもの
 そろそろかもしれないが、やれる事を頑張るしかない。
亡くなったと姉


2017年5月6日
この頃、横浜の来場対応を実施している。余剰人員として取り扱いされているのは
わかるが、意地をもってしごとに取り組むしかないと思う
常に前向きに、笑え笑え

入退院記録
2006年3月 横浜旭総合中央病院に入院(1)
2006年7月:聖マリアンナ医科大学病院 川崎本院に転院し治療を継続しました。
2006年9月 ステロイドが30mgに減りそろそろ退院がと思われた9月、
      お腹に激痛がはしりました
      小腸穿孔です。小腸に穴があき、緊急手術をしました。

2006年10月退院。
2006年11月入院 
そののち、エンドキサンの点滴で短期入院(3日)の予定が
     好酸球 CRPが高くなんと3ヶ月の入院となりました(2)

2007年 1月に退院
2007年 2月入院
 身体のけだるさと数メートルの距離も歩けなくなり、
   
 外来に駆け込みました。肺膀出血で入院でした。
    生死確率50%とDrに言われたそうです。(3)

2007年4月に退院しその後8月まで自宅療養しました
2007年8月会社へ復職。

2012年12月30日
聖マリアンナの緊急外来を受診し。肺膀出血で入院(4)
2014年4月4月21日よ初期大腸癌の内視鏡での切除の手術を受けた。(5)
2018年2月23日 顎下腫れ、呼吸苦しく外来受診で入院(6)
        好酸球性多発血管炎とIgg4関連疾患の併発を疑い治療
        Igg4関連疾患の確定はできず(顎下生研、骨髄から悪性リンパ腫
        の兆候確認できず
        免疫抑制剤をセルセプト2000mとステロイド30ミリで
3月23日退院
      4月6日に 山崎Dr]の外来を受診した。ステロイドが25ミリから
        20ミリに減るタイミングであり、当然、会社への復帰が叶うと信じていたが
        復帰するには、ステロイドが多いとの事。4月25日の外来で15ミリに減るまで
        自宅安静が指示された。
        ガラガラと崩れ落ちる気分だった。
        入院中に安藤Drに何度も確認した。退院して、自宅療養はやめてほしいと
        退院時に花岡主治医は山崎Drの外来までは、会社へは行かないで欲しいと
        言い、山崎Drは15ミリと明確に指示をだした。

        そりゃ、毎日、薬を飲むだけの単調な生活、夜も眠れず悶々とする
        病室よりも自宅の方が良いに決まっているが、病院の方がもっと早く
        復帰ができた気がする。

5月27日復職1ヵ月
      5/7に産業医面談を行い、5/8より復職をした、最初の1週間は本当に会社に行くだけで
      身体が悲鳴を上げていたが、何とか月末まで仕事ができた。
      感謝です。部下は相変なった。わらずですが、愛せるように心がけます。
      だって、この世の中で出会った方々だから。楽しくいかなきゃ

2020年6月13日
   
4月から神奈川事業所へ転勤となった。4月1日に出勤して
    コロナの為に在宅勤務となり、ようやく6月から少しづつ出勤を
    はじめた。朝6時30には家をでも頑張らなきゃ。
    働く事を楽しみに。

      

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